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福岡県立稲築志耕館高等学校創立記念日「記念講演」
テレビの世界へ、おいでやす 全文
2006年5月2日(火)、午前10時50分〜
於 嘉麻市岩崎 稲築志耕館高等学校体育館
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2007年3月31日公開
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はじめに
ここに公開する稲築志耕館高校創立記念日記念講演「テレビの世界へ、おいでやす」は、福岡県立稲築志耕館高等学校が平成19年2月23日に発行した「平成18年研究紀要いなは第13号」に載せられたものを、学校当局の許可を得て掲載しています。「講演内容については、本来は田口様御自身に著作権がございますので、御自由に扱われることには何ら問題は生じないと考えております」とのお手紙を、花村徳美校長先生からいただいております。
私のホームページは、言ってみれば、私の遺書と言いますか、遺言と言いますか、生きて来た証を公開しているもので、母校・稲築志耕館高校での講演記録はそれに相応しい拙文と言えます。
改めて読み返してみると、あまりにも多くのことを詰め込んだために、全体的に散漫な内容となり、在校生の皆さんの参考になるお話ではなかった、と反省をしています。
今日3月31日は、入学した県立山田高校が閉校となる日です。不思議な運命のいたずらでしょうか。
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テレビの世界へ、おいでやす
元・読売テレビ放送 制作技術局制作技術部
編成局編成部 田口 善敏
昭和36年卒業の田口です。
私が生まれ育ったのは、隣の朝倉郡宝珠山村というところで、今は小石原村と合併し東峰村となっています。今人口は約2,800人の小さな村ですが、当時はそこに炭坑があり、人口はおよそ6,000人、私の親父もそこにあった炭坑に勤めていました。その村に一軒の映画館があり、小学校低学年の時に映画鑑賞に行き、うす暗い場内で光と影が織り成すドラマに感動し、惹かれてしまいました。高学年になってからは1人で映画を見に行くようになっていました。中学2年生の時、通信教育で「ラジオ技術講座」を勉強し、ラジオを作ることに熱中していました。これらの映画とラジオ製作との出会いが、まさにテレビ制作技術の基礎になっていると、今になっては思っています。
中学3年の時、親父が稲築町山野にある炭坑に転勤になり、嘉穂町の親戚の家に居候し、大隈中学から県立山田高校に進学しました。高校に入学した後も、ラジオ製作が面白くて仕方がなかったので、それに熱中してしまい、成績が落ちました。このままの状態では、高校も卒業出来ないだろうと考え、1年終了後稲築高校に転校することを独り決意しました。転校して環境を変えたい気持ちが強かったですね。稲築高校で1人の先生に出会いました。先年お亡くなりになった物理の有隅嘉徳先生です。私は物理とか数学は得意で、生物は不得意でした。ですから、稲築高校で有隅先生に出会ったことが、私の進路に大きな影響をもたらすことになります。
高校3年生の時、みなさんは歴史の教科書でしか知らないでしょうが、ちょうど「60年安保」の年で、国中が大騒ぎになっていた時なのですが、有隅先生が「大学へ行きなさい」と、進学を勧めて下さったのです。当時の私は大学進学など考えてもおらず、高校を卒業したらラジオ技術の専門学校に行って、地元で就職出来ればよいと思っていました。ところが、大学進学を勧められて、ちょっとやる気になってきました。国立大学はむずかしいので、私立大学の、電気が学べる大学しか興味はありませんでした。授業料を免除してくれる給費生の入学試験を受け、これは不合格でしたが、神奈川大学工学部電気工学科に入学しました。日本で一番授業料が安い私立大学でした。
大学4年生の時には、東京オリンピック開催や東名高速道路が開通し、日本が高度成長へ向かって行く頃でした。4年生の夏休みには、就職出来そうな会社に実習に行くインターンシップがあり、私自身は博多で就職したいと考えていましたので、RKB毎日、KBC九州朝日放送、TNCテレビ西日本へのインターンシップを希望しました。卒論担当の教授が「その会社のインターンシップ制度は、就職につながっているのか?」と聞かれましたが、私は「判りません」と答えたところ、すぐにRKB毎日に電話をしてくれました。インターンシップと就職とは結びついていないことが判り、「テレビで仕事がしたいなら、読売テレビはどうか」と担当の教授に言われました。読売テレビと聞いて、「東京で就職する気はありません」と答えると、「読売テレビの本社は大阪」と聞かされました。夏休みの帰省の折り、インターンシップを済ませ読売テレビの入社試験を受け、夏休みの終わりには内定の通知をもらいました。こうして昭和40年4月、技術屋として読売テレビに入社しました。
テレビの技術関係の仕事は、大きく分けて2ッあります。ひとつは送出部門、テレビ番組を放送するところです。もうひとつはテレビ番組を制作するところです。私が最初に配属されたのは、送出部門にあるテレシネ課というところで、放送番組の素材とコマーシャルを送り出す仕事でした。当時はまだ自動化されていなかったため、コマーシャルフィルムがガチャガチャと回っているうるさいところでした。しかし、私は送出部門で仕事をすることを一生の仕事とは思っていなかったので、番組を制作する部門(制作技術)への異動を希望し、4年後の昭和44年、翌年に大阪で万博が開催されましたが、カメラマンになるその夢を叶えることになります。26歳の時からカメラを操作する仕事を始め、カメラマンやスィッチャーをしながらの19年が私の青春でした。
ここで、テレビの歴史をお話します。ラジオやテレビの技術は軍事技術の応用です。戦争が終わってからこの放送技術が発達して行きます。日本では、昭和28年にテレビ局が開局します。2月にNHK東京、8月に民間放送の日本テレビ、この2ッが開局したのですが、日本テレビが開局した時のNHK契約者数は3,500世帯。3,500世帯にしかテレビが見られなかったのです。昭和30年代、日本全国にテレビ局が開局し、FBS福岡放送のように昭和40年代に開局したところもありますが、要は、昭和30年代というのは映画が娯楽の王様だったのが、昭和40年代にはテレビが映画を抜きました。テレビは当初、電気紙芝居だとか悪口を言われていましたが、ついには映画を抜いて映像娯楽の王様になっていきました。「何故日本でこんなにテレビが発達したのか」私が入社当時、新入社員研修会で教わったことがあります。ひとつ目は、狭いところに多くの人が住んでいるために、効率良く電波が届き易いこと。ふたつ目は、日本人のテレビ好き。3ッ目は経済力です。車は買えないけれども、テレビ受像機は買える。そのくらいの経済力はある、とのお話でした。
テレビと新聞は、報道機関ですから、よく似たところもありますが、全然違います。新聞社というのは、明日から発行しますと言えばすぐに発行出来ます。しかし、テレビ局は電波が限られているので、法律に縛られていると同時に保護されています。ですから、今後地上波のテレビ局が増えて行くことはあり得ません。また、現在の日本のテレビ局の現状ですが、ほぼ資本が新聞社によって系列化されています。朝日新聞社、毎日新聞社、読売新聞社、産経新聞社、日本経済新聞社系のネットワークがあり、系列局が一番多いのが読売系の全国ネット30局で、一番小さいネットワークは日経系の5局です。
私が入社した頃の送出部門は、すべてマニュアル操作でしたが、今は全自動、コンピュータ制御です。近年は「アナログ放送からデジタル放送へ」ということで、この4月から福岡でもNHKがデジタル放送を始めました。FBS、TNC、RKB、TVQがこの7月1日から、デジタル放送を始めます。KBCは少し遅れて12月1日からですが、同時に九州全域でもデジタル放送が始まります。地上波のアナログ電波とデジタル電波は、今両方発信していますが、2011年7月24日をもって、アナログ放送は終了します。今テレビ受像機を買おうとすると、アナログのテレビは多分、シールなどを貼って、放送終了を消費者に知らせていると思います。従来のアナログテレビ受像機は、機材を取り付ければデジタル放送を見る事は出来ます。
さて、制作技術に異動してからの話に戻りましょう。テレビ局のカメラマンには2種類あります。ひとつは報道カメラマン。昔は16ミリのフルムカメラを操作して撮影していました。今はもちろん電気的なカメラ(ENG=エレクトロリック・ニュース・ギャザリング)になっています。もうひとつは制作技術のカメラマンです。これはドラマやバラエティなどの番組を制作している部署にいるカメラマンです。何故制作技術のカメラマンが電気屋、技術屋かと言うと、初期のテレビ放送はすべて生放送でした。いわゆるVTRと呼ばれる録画装置がないので、みんな生放送なんです。ですから、もしカメラが壊れると、たとえ本番中であっても修理をしなければなりません。そういう理由で、テレビのカメラマンは技術屋さんなのです。番組制作の仕事を私は19年やってきました。制作技術のカメラマンは、カメラマンに限りませんが、出勤時間がむちゃくちゃです。妻に今になって「あなたは子育てをしていない」と怒られますが、本番時間によって出勤時間が違うからです。夕方出勤し夜中に帰宅することもありました。甲子園球場のプロ野球中継では、放送機材運搬車からカメラ等を運び、ケーブルを引っ張って接続するという、ものすごい力仕事なんです。テレビ制作技術の職場は、3K(さんけい)、危険、汚い、きつい仕事だと思いますね。雨降りの時でもカメラをセッティングしなくてはならない、終われば片付け。これはすごく危険で、汚い、きつい仕事でしたが、そんな中でも、カメラを操作する喜び、楽しみを感じながら仕事をしていました。
テレビ業界の言葉には、みなさん興味があると思いますので、ここで少し御紹介しましょう。カメラ用語では「なめショット」「ごしショット」があります。「なめショット」とは、二人の人物を撮る時に、奥の人物を正面に捕らえ、手前の人物の横顔が撮れるようなカメラポジションにすることを言います。「ごしショット」とは手前の人物の後頭部や肩ごしに奥の人物を正面から捕らえることを言います。このように、テレビの世界には専門用語がいっぱいあります。「会話線」 これは会話する二人の人物を撮影する時は、この二人を結ぶ線を超えて撮影してはいけないという決まり事です。「会話線を超える」と言います。「会話線を超え」て撮影すると、モニター画面では二人の人物の立ち位置が左右反転します。視聴者が混乱しないようなカメラワークを心掛ける決まり事です。それから、歌番組ですが、曲の小節を数えることを覚えさせられます。テレビの歌番組で使われる曲は、フルコーラス全てを歌う訳ではなく、ワンコーラスにサビが付くワンハーフやツーコーラスにサビが付くツーハーフで歌われることが多いのです。以前はフルバンドをバックにして歌っていた時期もありましたが、今はカラオケがほとんどです。マネージャーがカラオケテープを持って来て、歌手に代わって「音合わせ」することもありました。「音合わせ」とは、生バンドをバックに歌っていた頃のなごりで、歌手が曲のテンポとか長さを確認するために行われていました。
また、スポーツ中継にはリハーサルがないのは当たり前ですが、私は「藤山寛美の松竹新喜劇」舞台中継に17年ぐらい携わってきましたが、舞台中継もカメラリハーサルはありません。カット割りされた台本を見ながら、2回下見をしますが、下見後の打ち合わせを丁寧にします。この打ち合わせが、収録した番組の出来に大きく影響します。野球やゴルフの中継では、ボールの行方を撮ることを「球(たま)をフォローする」と言いますが、ゴルフ中継の場合は、球が飛んで来る方向にカメラ位置を配置します。ゴルフの球は小さいので、フォローはかなり難しいですね。ちょっとしたコツがあります。初めは球道を追いかけ、球を捕らえてからズームバックするのがコツです。野球のボールは大きいですが、飛んで行く打球の方向にカメラ位置がある訳ではありません。ボールがバットに当たった瞬間に素早くズームバックして球を捕らえなければなりません。ゴルフとは逆の操作が要求されます。
次にテレビ業界で働いている制作現場スタッフの変わった言葉遣いですが、テレビは映画に多くの事を学びました。映画は舞台に多くの事を学びました。テレビから見れば、映画は両親、舞台は祖父母ということになります。いまだに「尺」という長さの単位が使われていることも驚きです。それから、スタッフの名前の呼び方、これがまた驚かされます。私は田口と言いますが、「たぐっちゃん」と呼ばれていました。そのほかにも、「たーぼう」「たっちん」など、まるで幼稚園の砂場で遊んでいるような呼ばれ方でした。親近感をわかせるために幼児のような呼び方をしていたのかも知れませんが、不思議な感じでした。それから、スタッフ、タレントも含め、夜中に会っても挨拶は「おはようございます」と言うのです。決して「こんばんわ」という挨拶はしないのです。
また、やたら言葉を縮めるのが放送業界人間の特徴です。テレビ朝日なら「テレ朝」、関西テレビなら「関テレ」。月曜夜10時、TNCテレビ西日本で放送されている「SMAP×SMAP」は「スマスマ」。忙しいからでしょうかね。普段仲間内で使用している言葉も面白いですよ。音声の小物を入れる道具入れを「かんおけ」。棺桶に似ているんです。それから、「ちりとり」。これは舞台前方にある照明、フットライトと言うのですが、照明機具が仕込んであります。この位置に音声を収録するためにスタンドマイクを置きますが、この位置は傾斜があります。これを水平にするために置くのが、「ちりとり」。格好がちょうど「ちりとり」によく似ています。「カニパン」とは、被写体を中心にしてカメラを横に移動させるテクニックですが、蟹のように横へ移動することから名付けられています。「パン」はカメラを固定したまま横に振ることを言います。「ばみる」は、立ち位置を決定するためにスタジオフロアーに印を貼ることです。「わらう」とは、じゃまなものを片付けることです。美術の用語でとんかちのことは「なぐり」といいます。
このように、番組を作ることに長く携わってきて、番組を制作する仕事の事はよく解りましたが、会社全体のことに関しては何も知らないと40歳の頃に思い始めました。てっとりばやく会社全体の事を知るには、管理部へ異動することが一番と考えましたが、なかなか異動できず、45歳の時(1988年)に映像技術局管理部という新しい部署へ異動することになりました。ここは、現場のサポート部門なので、現場での仕事が役に立ち、会社全体の事もある程度知ることが出来ます。映像技術管理部の仕事は第一に制作費の管理業務です。何年かやっている内に、制作費システムを抜本的に改革しなくてはいけないと思い始めました。これを改革しようと思えば、もっと上の編成局という部署へ行かなくてはなりません。50歳を目前にして編成局編成部へ移動しました。編成局編成部はテレビ局の司令塔です。放送に関してはありとあらゆる責任を持たなくてはならないし、その代わり権限も持たされます。私がそこでやっていた仕事というのは、日常的には制作費の予算精算管理であり、また制作費システムを再構築するプロジェクトの座長も勤めました。制作費の予算精算管理とは、経理からお金を預かってきてそれを部署にふりわけます。私のときで170億円くらいありましたが、それをスポーツ・報道・制作などそれぞれの部署に、番組ごとに分配する仕事です。1993年に編成部に配属になったのですが、おかげさまで1996年から2002年まで、7年連続年間年度の三冠王となりました。名誉あることだったなあと思っています。そこに8年間いましたが、そろそろひき時だなと思い、平成13年に子会社に出向し、昨年6月に退職しました。
視聴率の話をしますが、どうやって計っていると思いますか? 視聴率というのは、人口密度をもとに、全国を3つの地域に分けています。東京・名古屋・大阪、これは大きな都市ですが、ピープルメーターとよばれる測定器を用い、サンプル世帯600世帯に対し、各世帯の中のテレビ受像器に8台までに取り付けます。次に、福岡などの第2の大きさの都市ではサンプル世帯200世帯、各世帯の受像機3台に取り付けて測定しています。但し、この地域では機械式で年間52週を測定する8地区と年間半分の24週しか調べていない16地区があります。3ッ目の地域、宮崎、佐賀と言った地域ですが、日記方式をとっているところが5地区あります。
ピープルメーターは、機械的です。毎分測定と言って、各分00秒毎に測定します。これを集計して、平均視聴率を出したものを世帯視聴率と言います。そして、(テレビ視聴率日報の紙を見せながら)放送した翌朝には番組視聴率は、このような数枚の紙に集計され、フアックスで送られて来ます。テレビ視聴率日報には、各時間帯の平均視聴率も集計されていますが、HUT(House
Using
Television)という数字がありまして、同時に何世帯がテレビを見ていたのかというものを集計した数値です。これは、基本番組表(表を生徒に見せながら)といって、一週間の基本番組を表しているものです。HUTという数値は、1日の視聴習慣を表しています。朝御飯を食べる頃にテレビを見る世帯は増えますが、会社や学校に行く時間には見る人が少なくなります。昼御飯頃にはまた高くなりますが、それを過ぎるとまた少なくなります。出かけているような時間帯は、全体の数値も低くなります。夜、食事時などは多くの世帯でテレビをつけていることが多いので、その時間帯が「ゴールデン」と呼ばれています。それと、土日は平日よりも高くなります。みなさんが一番よくテレビを見ている時間帯(ゴールデンタイム)に放送する番組の合間に流されるコマーシャルというのは、宣伝効果が非常に高いので、コマーシャル料金も高くなります。
先ほど申し上げたのは、世帯視聴率ですが、もう一つは個人視聴率というのがありまして、年代別に視聴率を統計したものです。なぜ個人視聴率を統計するようになったかというと、要は、広告主が一番広告したい年代層があるからです。年代の分け方はチャイルドが4〜12歳、ティーンが13〜19歳、それ以上は男女別に、20〜34歳、35〜49歳、50歳以上と分けられています。20〜34歳の男性はM1、女性はF1、35〜49歳の男性はM2、女性はF2、50歳以上の男性はM3、女性はF3というグループです。宣伝したい商品にもよりますが、様々な企業が目安にしているのは、購買力が最もあると言われている20〜34歳の女性層で、F1含有率といい、スポンサーが最も喜ぶ年齢層と言われています。
放送される番組にはいくつか種類がありまして、それは、例えば、この地域では福岡放送という会社が放送を行っていますが、東京のキー局である日本テレビが制作した番組を全国一斉に放送する中にコマーシャルを流すとすると、コマーシャル収入は放送した系列会社にも分配されるというしくみになっています。次に、自社制作というパターンですが、日本テレビの系列局である読売テレビが制作し、全国へ放送しているときにも、さきほどと同じく放送中のコマーシャルに関する収入は、放送している系列局へ分配されることになります。また、地元の福岡放送が地元だけに放送するという自社制作のパターンもあります。ローカル放送と言いますが、こういうときのコマーシャルは、福岡放送が独自にスポンサーを探して、そのコマーシャルを流すことになります。さらには、映画を放送するときには、映画会社の放送権を購入して放送するというパターンもあります。これらの制作番組の中にコマーシャルを流し、広告料金を得ることで、放送局は収入を得るということになります。
コマーシャルには、2種類あります。「ご覧の番組は、○○の提供でお送りしました」と流れるように、番組制作への資金提供しながら宣伝するコマーシャル(スポンサードと言います)と、何も提供など関係ないコマーシャル(スポットと言います)です。どのコマーシャルも、朝帯・昼帯・夜帯・土日の時間帯によって広告料金のタイムランクが設定されています。
テレビ局はコマーシャルの入れ方を研究しています。番組フォーマットといって、なかなか番組のタイトルが出ないまま10分放送するとか、面白そうだなぁと思ったらすぐコマーシャルに入って、コマーシャル後はコマーシャルに入る直前の映像を再度流すということなどをして、視聴率を上げるために様々な取り組みをしています。これを「フォーマット」と言います。番組フォーマットは放送番組と言う商品を、綺麗に包装してお届けするということで、「ラッピング」と言っています。
新聞のテレビ欄を見て、みなさん不思議に思うことは無いですか? 最近は00分からではなく、例えば21時54分など中途半端な時間から始めることが多いですね。これは、やはり視聴率を上げるための努力です。00分の時点で本編がすでに始まっていることで、視聴率を継続して保つ意味があるのです。「またぎ」といいます。また、何でドラマは54分間しか内容が無いのかと思ったことはありませんか? これは、番組と番組の間にステーションブレーク(SB)というコマーシャルタイムを設けることによる収入増を計り、また短い番組ならスポンサーになってもいいという企業もあるからです。
次に、どうやって番組が企画制作されているのかという話をします。社員スタッフや番組制作をお願いしている制作会社からの企画があります。また、広告代理店から話を持ち込まれるケースもあります。この中身を編成部がやりとりして、よりよいものを考えていきます。そのときには、視聴者の対象、つまり、どの年齢層に多く視聴してもらえるように制作するのかも考えます。単発放送なのか、レギュラー放送なのかと言う放送期間を含め、番組の長さ、視聴ターゲット、他局との比較(同じような内容の番組を他局でもやっていないかどうか。棲み分けると言います)、制作費も含めて検討します。あとは、制作現場に任せて、一つの番組ができるのです。
私が8年間在籍しました編成部の役割ですが、放送局の司令塔であり、お金の問題やスタッフの問題もありますが、一番分かりやすいのは、朝から晩まで1日の放送を、途切れることなく365日間行う計画を練り、実行することです。人(社員スタッフや制作委託会社スタッフ)、モノ(スタジオ、中継車、機材)、カネ(制作費の投入)を使ってどう視聴率を上げるかなどが編成部の大きな仕事です。
日本の広告費は、マスメディア4媒体といわれ、テレビ・新聞・雑誌・ラジオ、これが主流ですが、大体、テレビと新聞が半数以上を占めていますが、最近インターネットがラジオを抜いて4位にあがってきました。今からだんだん増えていくでしょう。
最近また「点滅」という言葉が多く聞かれますね。また、「サブリミナル」といって、アメリカで映画の一コマと一コマの間にコカコーラの映像を入れておくと、「コーラが飲みたくなる」という欲求が出てくるという効果ですが、テレビでは禁止されています。要するに、人間が識別できない短時間に、番組と関係ない画像を挿入して放送することを禁止しているのです。同時に「点滅」というものも禁止されています。以前「ポケットモンスター」を見ていて、激しい点滅に見ていたこどもが気分を悪くしたという事件がありました。1秒間に3回をこえる点滅はあってはならないという取り決めです。
今、竹中平蔵さんが「通信放送のありかたに関する懇談会」というものをひらいており、放送と通信の融合促進ということで、これからもテレビ・ラジオの放送業界は、大きく変化していくであろうと考えられます。
最後になりましたが、稲築高校の同窓会名簿を調べていましたら、昭和31年卒業でFBS福岡放送の専務になられた原野彌見(はらのひさみ)さんがいらっしゃいます。稲築高校の先輩としてお話を伺ったことがありますが、今は退社されています。他にも何人かの方が放送業界で勤めておられました。
今日、このような形で講演会にお呼びいただいた花村校長先生を初めとする学校関係者の皆様に感謝申し上げます。一番感謝すべきは、下手な話を御静聴下さった在校生の皆さん方です。ありがとうございました。